恋人だろうが友達だろうが、家族だろうが仕事だろうが、遠距離ということがマイナスに働くことは確かに多い。昔付き合った相手は、”当時東京に住んでいる友達しかいなかった俺”に「友達は近場に作るべき」と諭してきた。そのとき、俺は「たまにしか会えない東京の友達だけど心はしっかり繋がっている」って言い返したけれどすごく悔しかったのを覚えている。
それから何年も経つけど今は逆にこう思う。「浅くてもいい。なんでもいい」
“深い”とか”浅い”とか”会う回数”とか”メールする回数”とか、そりゃ俺も気になることもあるけれど、でもそんなことがどうでもいい。俺はその東京の友達を週末に誘えないのは寂しいとは思うけど、あの古いゲイ映画を観ながらワンシーン、ワンシーンを熱く語ったことは忘れないと思う。
福岡の友達も本当に優しくて、俺の人付き合いに対するコンプレックスを克服できたような気がする。
それは訪れる。
ここが日本で福岡で天神なのかわかんなくなるくらいのねっとりとした空気が動かずにじっと居座ってる街にまだ見ぬ異国を想像する。いつか俺はタイに行くかな。シンガポールもどうだろう。でも、福井県にも行ったことないな。友達が暑さに弱い俺に気をつかって寄ってくれたスタバで俺の第一声。「そうだまずゲイバーに行かない?」
今日は久しぶりに会えた友達とハイテンションに日中過ごしたせいか、気分が高まったまま帰途に着いた。そのせいか、帰りのガラガラの車内で揺られながら、2年以上連絡を取ってない大学時代の友達にメールを送った。「拝啓、~様」に近い感覚。送ろう送ろうと思いつつ送らなかったのは送れなかったのか。送る理由がなくて送らない理由があったような、別にないような。これまで気分の波がずっと激しかったせいで、存在をないがしろにしてしまった友達は彼だけじゃない。そして本当は1人1人にちゃんと謝りたい。書くことはないけど書きたい気持ちはあるから適当なことを書いてとりあえず送信した。携帯の送信中の画面を眺めていると強く不安を感じて動悸がした。相手がアドレスを変えているんじゃないか。宛先不明で返信されてくるじゃないかと思ったからだ。数秒、目をつむる。ゆっくりと目を開くとメールが着信している。返信メールだろうかと恐る恐る開くと恋人からのメールだった。タイミング悪いなまほろばくん。でも、まほろばくんからでよかったよ。そして30分経つとその友達から短い返信が届いた。「おひさであります。迷惑というか…俺が凹んでる時に助けてもらった覚えしかないよ。あの頃の精神の柱だった気がする。感謝。夏は帰るんで飯食いに行こう」大学中退したときも、女の子と無理して付き合って別れて自虐的になったときも、いつも支えてくれてた彼から俺はまた救われたような気がする。最近は元気にいろんなことに頑張れていろんな人を大切にしてるつもりだけど、時々どうしても自分が嫌になるときがある。励まして励まされて励まして励まされて、あーどんどん励まされていくぜ。もう明日起きたら俺はロケットのように飛んでいくぜ。
今週はあまり元気がなかったのだ。そんな週末、友達と椿屋四重奏を観に行った。いやあ、楽しかった。徹底した美意識で丁寧に制作された楽曲を、ライブではほっこり人間臭く見せてくれる。”今日の喉の調子がよくなさそうだ”みたいな、決していいところだけのライブではなかったけれど、悲しい歌のあとにニッコリと笑う中田氏を見ると、この世界の”嬉しいこと”と”悲しいこと”は表裏一体に存在していることに気づかされる。アンコールに披露されたアコースティック編成での「僕にとっての君」を聴いていると、汗で濡れた跡をなぞるように頬に一筋だけ涙が流れた。なんでだろ悲しくもないのに。彼の歌がライブを見ている俺の中の普段は血が滲むまで気づかないささくれを起こしていく。穏やかな日々に居ても時々は泣いたほうがいいのかも。終演後に飲んだ酎ハイが全然混ざってなくて飲んでて笑った。