父方の祖母はもう85…くらい。
近所に住んでいるわりに今年はあまり訪ねてない。
ネットに「あなたは家族とあと何回会えますか?」という記事があって、切なくなった。
1年に3回だったらあと20回も会えるのだろうかと。
祖母は変わり者。
戦前生まれの価値観があまりない。
結婚を勧めない。「好きな人が出来たときにでも結婚すればいい。熟年で結婚したりもある」
学歴や収入に興味がない。「食べていければ十分」
女性に女性らしさを求めない。「背が高くてサバサバした人に生まれたかった」
こんなだから祖母に育てられた割に生真面目に育った息子である父より母との方が気が合いそうな気がする。
しかし、母は破天荒な自分を誰より評価してる祖母を姑というフィルターで見るから、自分がいかに恵まれているかわかっていない。
小さい頃から二転三転する俺の人生をいつも意見もせず応援してくれた。
何かをお返しされるよりただ元気してくれて時たま顔を見せてくれるのが一番って祖母が思ってることを正確に判るような付き合いをしてこれてよかった。
祖母の飼っている猫の兄妹の片割れ、太郎がこの前死んだので、ペットの葬儀屋に連れて行った。祖母の家に迎えに行くと太郎は玄関の薄い段ボールに入れられていて、あまりに小さくて俺はそれが太郎だと気づかなかった。俺が小学5年生のときに太郎は花子と2匹で祖母のところにもらわれてきた。知人が見つけた野良猫の子供で、最初は1匹だけ飼おうと思っていたらしいけど、じゃれる2匹から1匹だけを選べなかったみたい。2匹は去勢の手術を受けた。人間のエゴだけど、繰り返される悲しみの連鎖は要らない。それから19年経った。太郎はのんびりした性格でケンカも病気もせず、死ぬ数時間前まで元気だった。それでもここ数年は老齢により食が細くなってしまい、がっちりしていた体はやせ細っていた。焼かれる前にカッと見開いた目を伏せてあげたかったけど、少し上から押したぐらいじゃ動かなかった。焼却スイッチは祖母が押せなくて俺が押した。太郎お疲れ。また会おう。曾祖父が死んで曾祖母が死んで祖父が死んで、祖母が葬儀で大切な人を見送るとき、俺もいつも横にいて見てきた。生きるってことはそういうことで、そしてそれはすごく素晴らしいこと。雨がしとど降るなか、傘をさして祖母の小さな背中に並んだ。