中学生の頃、ずっと数字と記号だけで日記を書いていた。誰にも意味がわからないように、僕だけにしかわからない言葉で。自分のことを知ってもらいたいなんて微塵もなかった。そしてそのノートは誰にも見つかることなくこの世界から消えた。洗面所で燃やすなんて愚行、映画やテレビの見過ぎだろう。読ませない悲しさ、読ませたい悲しさ。わかってほしい悲しさ、わかってほしくない悲しさ。それは喜びでもあるはずなのに、オレの言葉は誰よりオレに刺さり、心ににじんだ血は何よりオレを癒した。友達にぽろっと本音を言ってしまったあと、後悔することもある。なんでかわからないけれど悲しくなったんだ。
“オレはこのヒトとまた会うことがあるだろうか”とおもってしまうヒトがいる。
“このヒトとは一生の付き合いになるだろうな”とおもえるヒトもいる。
そうおもっていたのにいなくなってしまったヒトもいるし、先のことはわからないよ。
わからないけれど、おもってしまうんだ。
この世界のどこかにある運命や奇跡を探し続ける旅。それがオレの人生。
「スラム・ドッグ・ミリオネア」という映画を2週間前観た。
この2週間、この映画のことを考えない日はなかった。
観た直後より反すうするたびにジワジワ心に効いてくる、そんな映画。
ここ数年の洋画のなかではダントツの作品。
“インドの無学な青年がクイズ番組に全問正解し一晩にして億万長者になる映画”
観る前に知っていたのはそれだけだった。
なぜ全問正解できたのか?そんな謎解き映画かと思っていたら、主軸にあったのは恋愛。
完全なラブストーリー。
好きで好きでどうしようもないくらい想いあってるヒトと結ばれない青年が過酷な環境に弄ばれるながらも必死にもがいて自分の人生を自分の手に取り戻す映画。
この映画に対する気持ちがハンパないのは、タイミングが合わないまま時が流れ、付き合うことはないと思っていた親友と恋仲になったからだろうか。
恋も愛も大切だけれど”とにかくあなたと関係していたい”という気持ちがただただいとしい。
明日もあえる、きっと会える。

“きょう公園の横を通りすがると桜が満開だった。お前と遊ぶときは葉桜もないだろうなあ”
大阪の彼と付き合ってる。
遠いかなまだ近いほうなのかな、たしかに遠いなあ。
彼のここがいいとかそんな風には言えない。ただ、話しているとすごく居心地がいい。
そんなに会えるわけでもない。でも、会えないまま連絡とれないまま何年経たからか、”会える”ことのほうが不思議な気がする。
オレのだいすきな言葉に”本気で会おうとおもえば会えないひとはいない”という言葉がある。
初恋の相手でも、連絡をとってない友だちでも、むかしの恋人でも本気で会おうと思えば互いが生きていれば会えないひとはいない。
調べるツールもあるし、お金と時間をつぎ込めば海外だって行ける。
~地球の裏側のあなたに会いたい~映画「ブエノスアイレス」じゃないけれど。
友だちが緊急を要するなら深夜3時でも駆けつけられる時代。
だから、お前とはいつだって会える。
胸をしめつけるような懐古のくりかえしだったオレの1日がいつの間にかアップデートされた。
動きだした。