Paulo Coelho Life sometimes separates people so that they may realize how much they mean to each otherPaulo Coelho Life sometimes separates people so that they may realize how much they mean to each other / symphony of love

過去に付き合っていた相手から「お前、重いよ」と言われたことがあります。
逆に言ったこともあります。
「重いよ」は相手の気持ちを持て余してしまったときに、口をつく拒絶の言葉です。

重いぐらい好きじゃない恋になど、意味はないと僕は思っています。
惰性の恋は何よりむなしい。
重いぐらいのこころざしがなければ仕事だって、趣味だって何も成し得ないと思います。
「彼が好き」「自転車が好き」「音楽が好き」
すごく物事を好きになるということは素敵なことなのです。
しかし、自分の中で保っておけずに外に溢れだしてしまった「好き」は、周囲を困惑させます。
重いぐらい想っていても、相手に伝えるときは最低限扱いやすいように体裁は整えたいものです。

それでも、人は贅沢なもので、合理的なキレイなだけの大人の関係だけでは物足りなくなります。
たまには激しい愛や自己顕示欲をぶちまけて、汚れ合って、笑い合って、泣き崩れるような、泥んこが僕は欲しくなります。
相手が思わず漏らしてしまった弱音を、さりげなく問いなおしてあげるような、そんな余裕や愛があれば「重いよ」なんて寂しい言葉は要らなかったはずなのです。

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