2,3日前にはすでに数匹のセミが鳴いていた。ややフライング気味な彼らはセミの数が少ないぶん、競争が激しいだろう。もう少し考えて出てくればいいのに。急がば回れだろ。
きちんと眼鏡をかけて外出しているせいで今年は眼鏡の形をした日焼けの跡ができた。こんなん出来るんだ。眼鏡かけている人っていつもこんなの出来てるのか。出来てるか?
話は変わるけどセシウムを含む牛肉が問題になってるから、放射能を考えるなら外食は惣菜は避けろとよく書いてあるんだけど毎日自炊は出来ないわな。俺は作るのは好きなんだけど、洗うの嫌いだから1日おいてたらウワーーーー!という状態になってそのことでまほろばくんと大ゲンカになったのでしばらく自炊やめてた。しかし、…今日は作った。スーパーでも野菜は生産地が東に行くほど安くなってる。ニュースで読んだ話なんだけど、農作物でも肉や牛乳でも放射能数値を手前に表示して値段と数値を消費者が自分で考慮して買わせるようにすればいいという意見に俺も賛成。放射能数値の高いものが売れなかったら東電が買い取る、もしくは値段が下がったら差額を補償する、子供のいない家庭は数値が少しぐらい高くても安いなら買うかもしれない。その値段は風評被害ではなく適正な市場評価。逆に風評被害と言うから農家も補償されにくい。
たいそうな画家より子供の絵が好き。無駄に時間をかけてるノートの落書きや休み時間が終わったらすぐ消される黒板の絵はどうしてこんなに生き生きしているのか。それはもう手に入らないガキだった夏。
実のところ、というか、まんま、いや、けっこう、…とにかく全然元気がなかった。これはどうしたものかと考えると、考えられる理由は1つ。「クスリか!」カタカナで書くと違法薬物のようだけど違う違う。病院で処方されている抗鬱剤を4月あたまからダイエット目的で減薬していた。「え?また?前に具合が悪くなって減薬諦めてたじゃん!」というそこのあなた!そうです。俺は性懲りも無くまた減薬にチャレンジしていたのだ。今回は最初のうちは仕事もできていたので、かなり自信があったんだけど、今月に入って夏の炎天下に水をもらえなかった朝顔のようにヘナヘナになってしまった。そこで、結局3日前に減らしていた2錠をそのまま元の分量に戻した。すると、俄然元気な日々。と、こんなにわかりやすく効果が出る薬じゃもともとないから気のせいもあるんだろ。それにしても、もう減薬は当分しない。5年くらいは。なんとなく…。ね…。やはり、今の薬の処方箋は担当医の匠の手練が生み出した奇跡の傑作なのだ。これより1錠多くても1錠少なくても調子がよくない。それだけ人間のリラックス状態とダルい状態の間に差がないということだと思う。「ちょうどいい」ってすごく大変。俺の体に病気が開けた鍵穴があるとすれば、その穴は多分、昔より大きくも深くもなっただろう。でも、的確な治療でその鍵を開ければ、変に明るくもなく暗くもない生まれたままの自分が座っている。…みたいよ!

ベッドに横たわってる主人公がかたわらにいる恋人、友達、もしくは赤の他人に最期の言葉をつぶやく。
「あ、俺は…本当は…ほんとうは…」
TVや映画で使い古されたこのシチュエーション、使い古されているとはいえ、ドラマで主人公がつぶやく台詞はいろいろ。
秘密をばらしたり、愛の告白をしたり、本音を言ったり。
そんな中でも俺は「どうでもいいことを言う」ドラマが好き。
「タバコをくれ…」は格好つけすぎてる。
「ピーマン…くそ不味い…」なんてのが良い。
「フジテレビ…」なんてのもいい感じ。
意味がわからなくて、呆気にとられる恋人を残して、主人公は死ぬ。
恋人の脳裏にはその訳の分からないダイイングメッセージが焼きつく。
主人公は死してなお、人の記憶に残りたい“構ってちゃん”なだけなんだけど、人間忘れられたくない、そういう生き物だ。
寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」では「遺書には必ず誤字脱字を入れよ」とご教授している。
そこまでして記憶に残る必要もないんだろうけど、ロマンチックにも感じる。
疑問符を残して旅立つなんて、まあ罪作り。
…俺はなんて言おうかなあ。
運動が苦手で体育の時間が嫌で、授業が辛かった。
「そこまで嫌がらなくてもいいんじゃない?」って言われたこともある。
「ちょっとやってみたら?」「誰でも最初はできないんだよ」
でも、耳に入れることはなく卒業した。
そして、そんなことがあったことも忘れてしまった頃、mixiで“運動音痴な人”が集まるコミュニティを発見した。
運動ができない人が「自分がいかに運動ができないか」を綴っていて、運動ができないほどすごいという雰囲気に心が和んだ。
その中にこんなコメントがあった。
「オフ会をしてみんなでバレーがしたい」
意外に俺も思った。
「そんなバレーならしてみたい」
思って自分で自分に驚いた。
“運動が上手じゃないこと”と“運動が嫌いなこと”はやっぱりちょっと違うようだ。
運動音痴な人が運動を楽しめるような世界になったらいいな。
なあんだ、運動したかったんだなあ。
生きてる感触が強くなるとき。
それは生きたくないときかもしれない。
腕のなかですやすやと眠る君の頬を撫ぜる風に俺も混ざり合って消えてしまいたい。
生きてる感触を忘れるとき。
俺は幸せだろうか。