此间的少年此间的少年 / floraltimes

僕は、小学校6年間のうちの3年間は同じ担任の先生でした。
そんなに長い付き合いになるなら、もっと慎重に行動して信頼関係を築けば良かったのですが、僕は彼女が嫌いでした。
僕は悪ふざけと口答えばかりして、集団行動をまともにできませんでした。
彼女もかなり手こずったと思います。

ある時、図画工作の授業でみんなで絵を描きました。
僕は絵は好きなのですが、彼女に「ここはこうしなさい」と指示されるのが嫌でした。
そこで、居残りで描き足しを命じられたのですが、「もうこれでいい」と言って、「待ちなさい!」という声を振りきって走って逃げて帰りました。
数日後、その絵が入賞しました。
帰りの会で、彼女は不快感を露わにした表情で、僕の絵と別の絵を2枚手にとってみんなの前に掲げました。
「こっちは何にも努力してない絵。こっちは一生懸命描いた絵。同じ賞でも全然違います」と言いました。
僕はすごく立腹し、ますます彼女のことが嫌いになりました。

そんなくだらない日々を送っていた頃に、1人の不良少年が同じクラスに転校生としてやってきました。
彼はとにかく自由奔放だったために、転校した初日から、担任の言うことを聞かず、すぐに問題化しました。
ある昼食の時間に担任は「あんたが来てからこのクラスはおかしくなった!」と不良少年を怒鳴って追いかけました。
同級生が唖然とするなか、机を動かしながら追いかけっこは続きました。
でも、先生が「あんたのお母さんにいろいろ相談されてるんだよ」と言うと、彼は逃げるのやめて机に突っ伏してしまいました。
彼の母親は30代のとてもキレイな人で参観日には目立つ存在でした。
実の母親ではありませんでした。

担任とのトラブル続きで、疎外感を感じていた僕と不良少年は徐々に休み時間に愚痴を言い合うようになりました。
それ以外の共通点はないため、そこまで親しくしたわけではなく、ただ2人ともクラスで浮いてしまっていたのです。
担任とは分かり合えぬまま、小学校を卒業しました。

それから4年経ちました。
日曜日の早朝、僕は中学をリタイアしたことで、卑屈な気分で通信制高校に登校していました。
「なんで僕だけ」という思いが何度も頭をよぎります。
駅までの道中にある公民館の前で、全身びしょ濡れの男が座り込んで寝ていました。
ホームレスなのかなと思い、足早に通り過ぎようとすると「○○君?」と声をかけられました。
僕はギョッとして振り返りました。
いつかの不良少年がアザだらけの顔で体を捻っていました。
続けて彼は「元気?」と尋ねてきました。
僕はコクリと頷くだけで、言葉も出ませんでした。
すると、「うん、いいよ。ごめん。行って」と手を振ると、彼はまたグッタリと俯いてしまいました。
僕は、必死に駅に向かって歩きました。

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