「話」って事実より言い方のほうが意味を持ってしまうことが時々ある。今日笑って伝えればいいことを深刻に話してしまってなんだかすごく気まずくなってしまうことが2回重なった。会話は俺の顔や声の表情からすでに始まってるから、それはメールの絵文字のようなもの。勘違いから始まる怒りや悲しみはわかっていれば修正できるけど、気づかなくてすれ違っていくことも多い。それはすごく虚しいことだけどまあ仕方ない、ぺこり。仕事が1つ片付いたので昨日ご褒美に1人ポツンとレイトショーで映画を観た。そしたらとっても楽しみにしていたのに、とってもつまらなかったんで、他の映画にすりゃ良かった〜!と上映開始後1時間ぐらいで天を仰いでしまった。帰り道、電話口でつまらなかった理由を挙げようとする俺に苦しそうな相づちを打つまほろばくん、君も俺の声の表情におののいているんだね。おののけなさい。おののけなさい。
わたしは波がある。わたしはわたしを信用できないことがある。放った言葉は飛んでいってもう戻ってはこないけど、追いかけて訂正することはできるわけで。できるわけで。わたしは手紙を書きました。その手紙を郵便ポストにいれて一晩寝たら気持ちが変わりました。だから、相手の家の郵便ポストの前で待ちました。やっと来てくれた郵便屋さんが去ったあと、自分がしたためた手紙を手に取り帰りました。あの日「渡さなくてよかった」と安堵した手紙は、5年後に「渡していたらどうなっただろ?」という手紙になって、10年経った今は「渡していればよかった」という手紙になりました。でも、15年後は「やっぱり渡さなくてよかった」手紙になっているのかも。わたしはわたしを信用できないことがある。だからわたしはわたしが面白くてたまらんとばい!
ただいま絶賛上映中の映画「告白」を観た。おどろおどろしい内容が炸裂していたが、俺はひたすら松たか子の前歯ばかりが気になった。今回は特に…特にハムスターしている。いいなあ。この前歯。いいねえ。いい。いいよ。1日に2回映画を観るなんて滅多にしないんだけど、続けて「マイブラザー」という映画も観た。あらすじは戦争に行って死んだと思っていた兄貴が捕虜として生き残っていて数ヶ月ぶりに帰って来るが、過酷な経験から別人になっちまってたって内容なんだけど、俺はトビー・マグワイアの前歯が気になった…てことはないけど、(トビーの前歯は足りん)とにかく捕虜の拷問シーンが酷くて見ていて具合が悪くなるくらいだった。いやー…映画が終わると、隣で仲良く映画観賞していた中年夫婦がいなくなってることに気づいた。足元には散らばったポップコーンとドリンクホルダーには食べかけの疲れたフライドポテト。さぞかし張り切って来てたのに最後まで観れなかったんだな…と俺の気持ちはさらに凹んだ。映画を観るのも大変ね。
まほろばくんの友達とはカラオケに行ったあとに晩飯を一緒に食ったんだけど、とても創作的な人でコーヒーを飲んでいると、手製の絵本を見せてくれた。詩を書くのは知っていたけれど、ロボット、戦争、イルカ、ドラゴン、子供、伝説…いろんな要素の絵本を沢山見せてもらった。言い訳ばかりでポートフォリオが全然充実しない俺はなんなんだ…と自答もした。「才能とは続けること」という言葉がぐわーんぐわーん。ホテルの慣れない天井を見てるとどうしようもない不安が溢れ出してきそうになったけど、体を起こすと「ぽきゅなにもなやみない」ことに気づく。はっと気づけば終わってしまいそうな夢のような、幸せに慣れることができないできない…慣れたくない。なんてねごめんね。