Two Good Men / K.Muncie

“なにか”を考えるとき –
“なにか”って、それはいろいろなんだけど。
そういうときは、その“なにか”が「あと何回」か考える。
「あと何回」それと関わるのか考えれば、自分の取るべき行動が自然に見えてくる。

たとえば、実家から離れたところに住んでいる人が両親と会う回数は数えてみれば、想像以上に少ないかもしれない。
僕は祖母が死ぬまでに会う回数は10回未満だと思う。
そうなると少し嫌なことがあっても、スルーしようかという気分になる。

たとえば、ブログを更新するときにとても便利なアプリがある。
しかし、価格は4,000円もする。
ずっと買わずに、ブラウザから更新していたけど、これからは今まで以上に複数のブログを更新していくつもりなのだ。
そうなると、10000回くらい書くかもしれない。
自分はこのアプリを購入するべきだろう。

1回だけなら辛いことでも、大抵のことは我慢できる。
それは胃カメラであったり、仕事のことだったり、家族のことだったり、見づらいサイトで通販するようなことだったり。
でも、自分が死ぬまでに遭遇する回数が多いなら、話しあったり、金をかけたりして対処しなければいけない。

それはすごく当たり前のことなんだけど、特に人間関係においては感情がもつれて、正しい行動が見えなくなったりする。
この人と自分はあと何回会うだろう。
あと何回言葉を交わすだろう。
思った以上に多かったり、思った以上に少なかったり。
それでも、「自分はあと何回、朝起きるんだろう」ということにまで考えが至れば、大抵のことは自分のためにも許してしまったほうがいいことに気づく。

出典: http://farm5.static.flickr.com/

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